束間の偏話62
2005年8月26日 駅そばを食った話
大学4年の初夏のことであったか。部長のT君の紹介で、我がS大学考古学研究会は下伊那郡上郷町の姫宮遺跡の緊急調査に臨んでいた。T君や松本のキャンパスの連中が先に行って、いろいろ設営をし、私は、一日遅れで現地入りをすることになっていた。 ここで、私は急に駅そばが食べたくなってしまった。停車時間は10分もなかったと思うが、酔った勢いで、別のホームにある駅そば店に食べに出てしまった。大急ぎでそばを食ったが、発射のベルが鳴ってしまい、慌てて駆けつけたとき、電車はホームを滑り出した後であった。 財布と乗車券以外は、荷物も服も、連れのY君すらも電車とともに行ってしまったのだ。呆然として立ち尽くし、やがて気を取り直して、後続で追いかけると今夜中に飯田へ着けるか駅員に聞いた。辰野で乗り換え、伊那福岡で乗り換えると、夜中の12時近くだが飯田へ着くという。あとはご想像にお任せしよう。酔いも眠気も一瞬に覚めた男が、いらいら、せかせかと乗換駅を気に病みつつ、座席の隅っこに座っていた姿を。 飯田についても問題ありだった。発掘現場は飯田の西の山の中である。タクシー代なんてない。歩いていかねばならないのだ。そこで、かつてT君に聞いた記憶、距離的には飯田の手前の桜町の駅からのほうが近い。それを思い出して、桜町の駅で、降りて夜中の山中をとことこ歩いて皆が合宿しているところまでいこうと考えた。 ところが、桜町の駅で降りると、おお、なんと言うことであろう、T君が後輩とともに自動車で迎えに来てくれていたのだ。「お前ならきっとこう考えるはずだ。」と私の行動を先読みして迎えに来てくれたのだ。ああ、友とは素晴らしいものだ。しかし、合宿所にいくと連れであったY君からは目茶目茶になじられたことは言うまでもない。ほんとに、面目ない。申し訳ない。このあとしばらく、駅そば食ってて電車においていかれた奴ということで有名になってしまった。 後遺症として電車は人一倍ゆとりを持って乗るようになってしまい、早業の乗り換え、乗り継ぎなんてとてもできなくなってしまった。 |