学に志す2 束55
     2001年7月20日 太田義一先生記念誌原稿

  わが村と道祖神

   平成9年の文化祭で道祖神巡りに参加した時の日記です。「午前10時から12時、村の道祖神巡りのバスに乗る。太田義一先生のお話を聞きながら、村内の道祖神を一家全員で見る。太田先生の解説はわかりやすく、とてもためになった。上大池の石垣になっていた道祖神を伝承館で祭っていたのは、古いもので感動した。」私は平成になってこの村に転入した新参者です。ですが、この村の道祖神は前から知っていました。それを世に出した先見的な努力に敬意を抱き続けてきました。

  遠い祖先が遺した物が自分たちの身近な路傍に今も建っている。しかも、作られた時の年号まで刻み込まれて!こんな驚きに囚われたのが14歳の時です。以後の中学時代は道祖神や庚申塔を尋ね歩く毎日でした。まだNHKの「水色の時」以前で、道祖神ブームはなく、参考書も僅か。とにかく歴史ある村里を、石仏を求めてさまよいました。

  昭和49年、高校に入学する頃、『松本市の石造文化財』が刊行され始めました。路傍の石仏に戸籍ができる。なんて素晴らしい試み。同好会でそれを話すと、村の友人が「おらの村にもあるぞ」と2冊を手に入れてくれました。『〇〇村文化財調査資料』と題するその本は薄く単色刷りで簡素でしたが、紹介された道祖神は非常に細かく調査され、なにより個々に素敵な名前が付いていて驚きました。「筒井筒」とか「路傍の情熱」とか、高校生の私にはかなり艶っぽくて「これを書いた人はとても粋だ。」と思い、また、どこの市町村より先駆けてこれを作った立派な先覚者だと尊敬しました。

  平成9年3月の先生を囲む会で、先生が自ら語られる道祖神の素敵な命名のいきさつを聞いて、思わず微笑みました。そして、私が高校時代に敬意を抱いた先覚者の核に太田先生があったことを得心しました。私にとっては素晴らしい出会いでした。今、この村に住むことをとても幸せに思っています。

(追記)
太田義一先生は平成14年(2002年)12月30日に87歳でご逝去された。まさに地域文化に殉じた人生だったことを伺う時、先生は地方史の先駆者であったとひたすら思う。ご晩年に辱知に預かれたことを無上の幸せと感じています。
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