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1999年 12月5日 神木切り出し

  しばらく行われていなかった三九郎の神木切り出しがあって、参加してきた。私がこの村に来て初めての機会だから、ここ5年の間は確実にやっていない行事であった。これまでの三九郎は集会所の裏に積んだ焦げた古材を、毎年、使い回ししていたのだ。
  ウチの常会からはPTA役員のKさん、それからYさん、Tさん、Hさん、私の5人が参加して、KさんとYさんのところのトラックに分乗し、地区の共有山(きょうゆうざん)へ向かった。

  共有山入口の山の神に8時30分集合。小学校PTAの支部、育成会、共有山の役員など、男衆ばかり約20名以上が集まったか。みんな、いつものPTAや常会では普通のお父さんというかおっさんだと思って見ていたが、やっぱり在の人達は違う。子どもの頃から山仕事をやりつけているらしくて、各家伝来?の年季の入った鉈や鋸をベルトや紐で腰に吊った姿が実に板についている。こんな時が、街育ちというか来り者(きたりもの)の頼りなさを痛切に感じる一場面ではあるなあ。

  まず、山の神に作業の安全を祈願した後、山に入った。急な尾根を登ること約20分。唐松の間伐材がある地点に着く。さほど深い山ではないのだが、入口の登りが急なのと、普段の運動不足で私の息はせいせい上がってしまった。

  間伐材といってもけっこう太いので、途中から切って、先の細めの部分を使う。手頃な材を次々と切って枝を払い、やがて太いのは二人、そうでないのは一人でひきずって山を降ろしにかかった。私も手頃なのをみつくろって、一人で1本を降ろし始めたが、案外太くて往生した。担いだり、引っ張ったり、急斜面は放り投げたりして何とか下の道まで降ろしたが、作業服は土まみれになってしまった。まあ、人一倍働いたような汚れ方で、却ってよかったか。

  Kさん、Yさん、それにもう1台の合わせてトラック3台に常会毎(ウチの他には唐沢上、荒川、神明、西下がいた)に材を積んで一段落。ウチの常会はうんと太いのを1本積みこんで、みんなから「三九郎の時どうやって運ぶだ」とか「家でも建てるだかい」とからかわれたが、何年も使いまわすにはこのくらい太いのでも大丈夫だ。

  最後にもう一度、山の神の登り口に集まって、お神酒をやってお開きとした。私とTさんはKさんのトラックに同乗して、唐沢、荒川と回って材を降ろし、集会所で解散した。ちょうど午前10時。正味、1時間半の作業であったが、山仕事はきついね。へとへとに疲れてしまった。

  今年の地区の支部長はFさんといって野尻の人だそうだが、最後にきちんと挨拶をして、けっこう弁も立ちそうで、なかなかだ。ちなみに、最初の挨拶と山の神のお参りの音頭は育成会長、最後のお神酒の挨拶は共有山委員長であった。

  私が支部長をやった平成9年度も神木切り出しの話が少しあって、各常会に必要かどうかアンケートなどとった。そして、育成会長の先生と共有山へ下見に行ったりもした。今回入った山の神のところと、横吹沢を見て回ったが、特に横吹沢の方は唐松がかなり太くなっていて、細いのはずっと上まで登らないと無いので、これは大変だ、と話したことを覚えている。しかし、私はそれまで切り出しを体験したことがなかったので、どのくらい大変なのか、大変でも可能なのか、それとも不可能か、の判断ができなかった。幸い、各常会ともに材は足りているということで、その年の切り出しはなかったが、もし実施していたなら、今回のように順調にできたかどうか。とにかく、体験というものは大切で必要なものと痛感した。

Yさんは長男を連れてきていたが、私も太郎を連れていった方が良かったかもしれない。大人の中に混じって足手まといになってもいけないが、なにせ何年に一度という行事だから。一寸、残念なことをしたと思った。

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