学生の頃から酒ばかり飲んで、不摂生をしていたので、永くは保たないな、と思っていた。どこから傷んでくるか、それが問題だった。だから、「遂に来た」という感じは大いにある。
4月1日の夕方、入浴中に肛門の左脇後方の皮膚の内部にしこりを発見した。指が当たって、くりくりした、小指の先位のしこりの存在を確認した時は、「こんな所に、こんなもの、あったかいな?」という感じだった。痛みはなかった。ところが、夜寝る頃になって少しずつ痛みを感じるようになった。
翌4月2日は当番勤務の日で、朝早くから起きてトイレに行ったりしていたが、少し鈍い痛みがある程度で、排便の後、紙で拭くのもそれほど苦痛ではなかった。ぐっと痛み出したのはその日の夜である。しこりに当たると痛く、尻を下にして座っても痛い。咳やくしゃみをしてすら痛い。
4月3日は新年度開始の辞令交付の日で、2人も異動した職場は忙しい。しかし、朝のトイレは非常に辛かった。紙で拭こうとしてしこりに当たるとひどく痛むのだ。自動車で通勤するのも辛かった。自転車に乗るなんて以ての他。資料館への連絡も歩いて行って来た。それとて痛くない訳ではない。辞令交付も上の空。しこりは親指の先位に大きくなったような感じだ。
4月4日。痛みはさらに増して、当たると飛び上がるくらい痛い。朝のトイレで拭く時は、それはもう地獄だった。この痛みから逃げられるならなんでもする。遂に意を決して医者へ行こうと考えた。職場では所長もMさんも異動になって、残ったのは僕ひとりだ。しっかりしなければと思うのだが、この痛みには勝てない。赴任早々の新所長にお願いして、朝のうちから医者へでかけた。
医者はY町のW肛門科医院が良いと以前からうわさを聞いていたのでそこへ行った。駐車場が狭い。まあ、痔の人は自家用車を運転して来ることも少ないだろうという理由からか。待合室の長イスにはすべて尻を降ろすところにドーナツ型のクッションが付いていて「アア、痔の医者へ来たんだ。」という感慨がひとしおとなる。来院者は老若男女取り混ぜてで、一般の医者のように老人と子供ばかりが目立つということもない。痔は年齢によって発生頻度が高くなる病気ではないことが、これで理解できるというものだ。しかし、4日の当日は、痛みで動転していて、こんなに冷静にいられた筈はない。
診断と治療は、膝を抱えて横臥し、肛門をさらけ出すのだが、もう恥ずかしいという感覚は麻痺する。この痛みから解放されるほうが重要だ。診察結果は、肛門周囲膿瘍というやつで内部に膿が溜ってしこりのように腫れていたのだ。浣腸をされて、肛門を広げて観られ、何やら注射を打たれて、膿を切って出した。注射の時と、切った時の痛いこと痛いこと。成人男性は、出血や大きな痛みに対して女性よりも弱いというのは本当だ。普段痛みに接しないから、とりわけ痛みへの耐性がないんだろう。
今の症状は痔樓の始まりという。手術をしないと完治しないと言われてしまった。先生はいろいろな症例を図入りで説明し手術の必要性を説いて、日程の相談にまで入る。でも、こちらは「手術!」と聞いてガーンと一撃。ほとんど呆然。ただ「ハイ、ハイ」と合い槌を打つのみ。「地獄のように痛いのだろうか。」とか「仕事をどうしよう。」とか「付き添いが必要となったら女房は子供で手が離せないし〜。」とか「これでもう現場に携わることなどできないのか。」など、さまざまな思いが頭の中をグルグルまわって気が遠くなりそうだった。そして、ふらふらと家に帰り布団をかぶって寝ていたというのが4月4日の正直なところだ。
アルコールと刺激物は厳禁という。もう酒も飲めない。わさびやカラシをたっぷり付けて食べることもできない。悲しい。ひたすらに悲しい。人間は一生の間にそれぞれ飲む量が最初から定まっていて、それを10年で満たすか40年で満たすかの違いなのだろうか。僕は、してみるともう定量を使い切ってしまったのだろうか。そんな、考えに陥りそうなこの頃である。
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