束間の偏話14
1994年10月31日 いやな奴(1)
嫌な奴、思い出しても胸がむかむかする奴、という類は何故か中学と高校の教師に多く思い当たる。自我の確立期というか、世間を批判的な目で見始めた頃だったからかもしれないが、だから嫌な奴に比例して好きな人、尊敬できるタイプの人の思い出もこの頃が多い。 音楽の教師でとても嫌な奴がいた。僕の行っていたK中学ははっきり言って音楽部のレベルがずっと低かったのだが、その教師が来てから僕など傍目から見ていてもどんどんと実力がついて行ったように見えた。だから、たぶん、というよりは確実にその教師は音楽の力、音楽を教える力があったのだろう。音楽教育理論、というのもしっかりしていた男だったに違いない。といって管理監督型の人間だった記憶もない。 ではなぜ嫌な奴だったかというと、人の神経を逆なでするようなことを平気で口走ったからだ。しかもこちらの狼狽をしっかり勘定に入れた狙い撃ちの発言だ。どうしてもしっくりとうなずけない。そんな雰囲気を僕は2年間というもの、拭えずに過ごした。 「ハイ、今、話していた者、手を挙げる。手を挙げた者、起立。そのまま回れ右して後ろへ行って立っている。」というように指示を事務口調でてきぱき話した。こちらが不平を言えば、「当然だ」とばかりに反論が用意されていた。それで敵の手の内がだんだん分ってきた頃、「ハイ、今しゃべっていた者、教室を出て行く。」とやられた時、素直に出ていってしまったことがあった。数人で音楽室から出ていって、自分の教室に勝手に帰ってうろついていたら、担任ではない別の教師に見つかって「お前たちここで何してる」と叱られた。「音楽の〇〇先生が出てけと行ったので出てきてここにいるんです」と反抗したら問題になってしまった。お陰で担任には怒られるし、3年間、「5」だった音楽の成績で初めて「2」をもらった。今のように内申書が重視される高校受験なら、真っ先に問題児としてレッテルを貼られていただろう。昔は良かった…。 今、思っても僕はこの音楽教師の実力を認めていたのだろう。だから、軽蔑とか無視とかの自分と同レベルしかないような者に対する反応ではなく、上のレベルに対する「反発」に走ったのだと思う。その点では、反発は尊敬の裏返しのようなものだったのかもしれない。 他にも嫌な奴と思っていた教師は多い。しかし、この音楽の教師のように反発した例は珍しかったと思う。他の多くの尊敬できない教師に対しては、むしろ呆れや軽蔑から来る罵りに近い気持ちだった。 |
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