束間の偏話8
1994年8月14日 ヘチマとヒョウタン
子供の頃、一度だけ、ヘチマを作ったことがある。狭い家だったので西向きの道に面した敷地に植えたのだが、僕のヘチマはそれでもひょろひょろと育っていった。雌花が一つ咲いたので花粉を運ぶ蜂が来るのを、ぼくはじっと見つめていた。ところが、である。たった一つしかないヘチマの実が数センチになった時、突然ヘチマの木が根本から枯れ始めてしまったのだ。僕は狼狽し大人に何とかしてと必至に頼んでまわったが空しかった。たった一つの中途半端な実を付けただけの僕のヘチマは茶色く枯れ果ててしまった。 この時の記憶はずっと僕の心の奥底に痛みを伴って残った。僕のヘチマは枯れてしまった。残念で悔しくて、でも何かしら自分の手のかけ方が悪かったのではないかと思い続けた。だから、大人になったら立派なヘチマが作れる立派な大人になりたいと密かに願っていた。立派なヘチマ=立派な大人、という図式が出来てしまったのだ。幼児体験とは恐ろしいものだ。 30才を過ぎた頃、自分の家と土地を持った。それなりに満足感は有ったが何か足りない気がしてならなかった。そうだ。ヘチマだ。自分の家や土地が持てたところで、立派な大人ではない。ヘチマを立派に作れなければならないのだ。僕は俄然ヘチマ作りに精を出した。妻は呆れた。家の管理や庭仕事にあれだけ無精な僕が、ヘチマの事になると突然に異常な執念を燃やすのだから。彼女は知るまい。幼かった僕がヘチマでどんなに辛い思いをしたか。いつかいつか立派なヘチマを作れる立派な大人になってやると何度、幼心に誓ったことか。 種蒔きの前に地面を50センチ以上深く耕して、肥料もマニュアル通りにたっぷりと施した。果して、僕の愛を一身に受けたヘチマはぐんぐんと伸びて二階の屋根まで届いた。黄色く美しい雄花と雌花がたくさん咲いて、秋にはこん棒のような巨大な実を幾つもぶら下げたのである。僕はというと、夏ごろから暇さえあれば毎日庭へ出て、「デヘヘー」とばかりにわが子の成長を見守っていた。巨大な実を見るたびに、心の中で「やった!やった!」と快哉を叫んでいたのである。 僕の異常なまでのヘチマへの執着に、妻は当然のごとく疑問を持った。僕はこれでやっと立派な大人になれたのだ、と胸を張って説明したが納得して貰えたかどうかはわからない。女になんか僕の悔しかった思いがわかってたまるものか! とにかく、その年のヘチマは見事で、妻も近所からだいぶ褒められたようだ。巨大な実からは種もたくさん採れて、瓶に収め切れない分がかなり庭にこぼれた。翌年は冷夏で、僕も仕事が変わったりして庭の面倒が全く見られなかったので、こぼれた種がどうなっていたか分からない。ところが、その翌年、見覚えのあるような懐かしい双葉が沢山芽を出した。妻は今年も大きなヘチマを作るぞと、この苗を大切に移植して育てていたが、僕はもう立派な大人になったので一昨年ほどの情熱は湧かなかった。それでも苗はどんどん大きくなり、本葉が出てつるが伸びてきた。この段階になって少し様子が違うことに僕は気付いた。葉の格好がヘチマと違うのである。心なしか表面には繊毛も生えているように見える。 「これはヘチマじゃない!」僕は叫んだ。長年、ヘチマの亡霊にうなされてきた僕である。見間違うはずはない。しかし妻も譲らなかった。「ここに種がこぼれたのはヘチマ以外にないはずだよ。」確かに僕もそう記憶している。でも違う。絶対に違う!と僕はなおも主張した。二人の論争と心配をよそに、その植物はすくすく育って、花芽もいくつかついてきた。そしてある夕方、とうとう最初の花が開いた。だが、それはヘチマの黄色く大きな花ではなく、白い可憐な花であった。それから連日、その植物は夕方になると白い花を次々と咲かせた。雌花の根元はウリ科の特徴で実になる部分が微妙に膨らんでいる。しぼみ始める雌花とは対照的に大きくなっていくその膨らみの中央に、くびれらしきものを認めた時には妻も僕も開いた口がふさがらなかった。「なぜだ。なんでヒョウタンなんだ!」 この謎は今もって解明されていない。とにかく、たわわに実ったひょうたんが日に日に大きくなっていくのを、僕は腑に落ちないながらも、やはりニンマリ眺めているのだ。 |